続続・さいなら天ちゃん

yakuto2006-02-20

天のお通夜では悲しい中いろんな発見がありました。人間と同じように鼻や目やお尻から体液がでました。気付くたびにぬぐいましたが、やっぱり出る。甲羅と同じキレイな黄色い花を買ってきて供えました。その時から我が家では黄色い花は天山の花です。甲羅の色とは違い、爪と腹甲の色は真っ黒でツヤツヤしています。花と一緒に好きだったオヤツ、いつものご飯、生きている時は与えなかったお菓子などたくさん供えました。
この行動は自分自身で驚きでした。私こんな信心深かった?いや、自分の手に余る出来事に対処のしようがなく、思わず今まで見聞きし知識としてあった行動をとったのかな・・。
次の日『火葬は不本意なんだよな・・そのまま土に還したいんだけどな』と思いながら葬儀場に行きました。でも、実際には真っ白で小さい骨になった天山を見て、骨つぼにおさめているとき・・一瞬ではあるけれど、気持ちを落ち着けることができました。不思議だねぇ。気持ちが停滞しきってしまわないための儀式。葬式ってのは、やっぱり生きている者のためにあるんだろうな。
火葬をしていただいた所には、家族に大切にされた子たちのお墓や骨つぼが安置されていました。その想いの集積を見ながら「それぞれが思う場所にいけたのかな」と、ぼんやり考えました。
私は天山の死に関しては私の考える転生を願います。わからず気付かず、いっそのことひとつの生命体でなくてもいいから、また会いたいなぁ・・と思います。
そしてたいへん信心深く極楽を信じて疑わなかった祖母が亡くなったとき、祖母が信じていた極楽があって、もう死んでしまった懐かしい人たちと再会して、また誰かが来るのをワイワイ言いながら待っている・・そうだったらいいね、おばあちゃん。と思いました。
非常に矛盾していますが、私はそれぞれの望む死と死後を願います。そうであったらいいなぁ・・と思うと心が落ち着くから。
天山がどう思っていたかわかりませんが・・・。この場合、生きている私の勝手な希望を天山にたくします。転生希望!!死を看取り、受け入れる側の希望というものもあるのですから。矛盾してたって、矛盾のままでいいじゃないか・・と、この際開き直りたい。
なので天山のお骨には、天の魂はもうありません。しかし天に対する思い出がふんわりあり、それが私にとっては大切でスッと手放せないんだと思います。いやだねぇ。
それにしても花や供え物というのは、やりだすと際限なく増えてしまうものです。思い出に供え物というのもなんですが。
さいなら天ちゃん。いろんな景色の中に天ちゃんをみつけます。