長いような短いような

親子蓮カメ
親子蓮カメ posted by (C)キリン子
天山(テンシャン・イシガメ女子)の一周忌。振りかえると「とても長い一年だったなぁ。いろいろあったなぁ。天ちゃんの死が遠い昔のようだ」と思うけど「早かったなぁ・・アッと言う間だったなぁ。天ちゃんの死が今朝あったように感じる」とも思う。・・・・大袈裟な話、自分が死ぬ時も「長いよーな短いよーな一生だった」と思いそうな気がしてならない。まぁ、思う間もなくおっ死ぬかもしれんけど。その可能性大な気がする。
「天山の死で悔やんだとこや、無念だった思いを、どうにかしてほかの子の健康や長生きに繋げたい。それくらいしか私に出来そうなことはない」と思うと同時に「でも天山はそんなことのために生きたのでも死んだのでもないのだよな。天山の命はほかでもない天山のもの」と思う。そうやって行きつ戻りつ脱線などして自問しながら暮らしてゆけるのは幸せ・・・・なのだと思いたい。
少なくとも天山は今でも私にたくさんのことを教え、時に喜びをも与えてくれる。天山の思い出が私を生かしてくれているのはたしかだ。そして、ほかの子がいたからどうにか一年をやり過ごせたのだ。身体だって丈夫になったし(←風邪などはひかないようになったのですよ。もしくはすぐ治る)感謝の証にささ身でもやりたいところでありますが、元日に刺身をやったばかりなのでやらぬ。
「ご先祖さまに恥じないように・・」という言い方があるけれど、私はこの考え方が好きなのです。「ご先祖さま」の部分を好き勝手に変えて楽しんで?いる。今の気分は「天山に恥じないように」
生死の事を考える時、かならず三木成夫さんと向井千秋さんが頭に浮かびます。(ほかの方も浮かぶ時があるけれど、かならず思い浮かぶのはこのお二人)どうして頭に浮かぶのかをツラツラと書出したいが、私の言葉では書けば書くほど「伝えたいことはこういうことじゃないんだよ!」となるので心の中に留めておくです。このお二人は私にとって宝物のような人かもしれぬ。私の浅はかな価値観に深みを与えてくれた。よーな気がしている。
天山は(たぶん)心不全で亡くなったのだけれど、そういえば三木さんも向井さんも心臓と縁のある方だな。

話はかわるけど、今日「カメちゃんたちに」とお年玉をいただいたのです。びびったです。(くれた人はこのブログは読んでいないのだけど)ありがとうございました。来年もください。