我が家では「きえもの」と言っているものがあって、生活のほとんどはそれ。前の我が家(家族構成)の時からそうだったし、今の我が家になってからはさらに輪をかけて。という状態なのですが、きえものというのは、眺めること、楽しむこと、形としてあとに残らないこと。という感じのニュアンス。たとえば博物館、美術館、映画館、演芸、景色、料理などを眺め、楽しむ……同居人の今年の反省は演劇を見る回数が減ったことなんだそうです。
ワンダーランド!
ワンダーランド!
もちろん惚れ惚れしたものは手元に置きたいたちだから、形あるものも家には転がっていて、それはそれで違う楽しみがあり、人に会えばだいたい、いろんな形あるもの、形ないものの素晴らしさについて喋りまくったり、それ以上に黙って独り占めしてほくそ笑んだりしているんです。そういう姿を見て、享楽的だとか快楽的だとか言われるんですけれど、そういう面は確実にあるでしょう。その享楽的、快楽的の対象がまったく人に向かわない。ともけっこう言われて、それは一番的を得た意見だと思います。
先月の中旬に京都の染め物屋さんに行って、大荷物を買って、さて帰ろうと思った時に、ちょうど京都で開催されていた博物展が目に入ってきて、大荷物を持ってえっちらおっちら歩いて博物館に行ったんだけれど、素晴らしかったです。よくぞ残してくれたと思いました。大荷物は受付で奪われちゃった(預けた)ので、堪能できた。大荷物は重さはさほどだったのですが、とにかくカサが高くてヒーヒー言いながら持ってたら、日本国籍じゃないっぽい観光客に『これなんですか?』みたいな感じで話しかけられたけど、何を言ってるのかてんでわかんなかったので「和紙。わ・し」と答えておいた。紙だったから「お〜う。わ・すぃ」みたいにピンと来たみたいで、私が「わ・すぃ」を抱えている姿を写真に撮ってくれた。でも、本当はちょっと和紙もどきなんでした。説明できなかったので「もどき」部分を端折ったけれど、古都京都で珍しい「わ・すぃ(もどき)」を見る事ができたんだから、その人たちは満足のゆくきえものを堪能できたのではないかと思います。
きえものはお金もどんどこ消えてゆくのが常なのですが、ありがたいことに私はよく施しを受けます。しかも会場の入り口で。入場券を買うため財布を出そうしていると「これ、一枚余ってるからよかったら使って!」と入場券を施される確率がもんのすごい高い。何故?よほど「お金ないけど入りたそうにしている」んでしょうか?とにかく、よく頂きます。まったく見ず知らずの方に。同居人が(私の分と2枚)チケットを買いに行ったスキ(10秒と経っていない)に「これ使ってちょうだい」と入場券を1枚いただいたこともあって、よほど施したくなる人相&雰囲気なんだと驚愕した時もあります。すごくうれしい。
写真は若冲ワンダーランド!非売品。アナザーワールドも都合があいそうであなうれし。