家のデスクトップパソコンの調子がおかしいと思っていたら動かなくなった。とりあえずこまめに画像などはどうにかしてたからいいけど、いつかしようと思っていたイシガメ女子の故・天山が死んだときの写真とか(見る気力がなくて、PCにいれたまま放置していたのです)そのままだなぁ・・・ああ、諦めないといけないかもな。と思っていて、微妙な気持ち。あれを見なくて済むのかと思えば、なんとなくホッとした気分にもなるけれど、でも一生後悔するのは目にみえているからコンチクショウなのです。
一年前の今日、実家のビビ(うさぎ)が死ぬ。もう一年になるのかぁ・・・・
あのときは本当に突然で(ビビにとっては突然じゃなかったと思うけど。)ビビの様子がおかしいと半狂乱で電話をしてきた母のことばかりが強烈な記憶として残っている。母は「もう(夜の)9時やし病院もしまっているからどうしよう。どうしていいかわからへん、助けて」とギャーギャーわめいて怒り狂っていたのでした。(母は怒りが勝る人なので)私はカメの病院を探す日々で、それにともなってエキゾチックの病院や診療時間もやけに詳しくなっており、友達と情報交換もしていたので「そーいえば夜間でも診てくれる先生がいると○○ちゃんが言ってたな。そこの名刺ももらったな」と思いだし、友達にも問い合わせ、10分ほどでその病院と連絡が取れたのだけど、そしてそこの先生は親身に治療をしてくださったのだけれど、ビビは助からなかったのでした。ビビはあくる朝、私たちが病院に行く直前に息を引きとり、触った時はまだ温かくて柔らかったのでした。
前夜、先生が「この子、助からない可能性が高いです。おうちに連れて帰りますか?それとも入院して可能性にかけますか?おうちに連れて帰った場合とても苦しむ姿を見ることになります。」と説明して下さり、母は「苦しむ姿は見たくない。それに助かる可能性があるならかけてみたい」と言った末の入院で、やっぱり先生がおっしゃったように助からなかった。まったく知らないところではじめて見る人に看取られて死んだビビ。ビビのおかげといえば、女王様のビビはご立腹なされるだろうけど、やっぱりビビのおかげで母はペットを看取ることや治療をすることや予防をすることについて深く考えるようになったと思う。もちろん私も。
ビビが家に来てからというもの、そして私がカメの病院を探し出してからというもの、ことあるごとに「うさぎに強い病院を探してホームドクターにしたほうがいい」と私は主張していたのだけれど、そして今もそれは間違っていないと思うし、そう言い続けると思うけれど、あんなにしつこく母に言わなければよかった。と、ビビが死んだときは後悔したものでした。母は何度も何度も「あんたが言ったように、ちゃんとうさぎを診てくれる病院を探せばよかった。遠くても面倒がらずにつれて行けばよかった。」と泣いたのでした。買い物をしている最中や、外でごはんを食べている最中に、フと思い出したように言い出して泣くのです。その姿を見るたびに私はほんとうに後悔した。さも正しいことって、人をとことん追い込んで傷つけてしまうんだから。
私は「そうしたほうがいい」と言うだけで決して行動に移さなかったし、母の心を動かす言葉を持ち合わせていなかったのだから。私の主張はむやみに母を傷つけただけにすぎなかったと思う。何度も何度も泣く母を見て、私は一度も「ほら私の言ったとおりでしょ」とは言えなかったし、思えなかったし、私も泣きたい気分でいっぱいになるだけ。こんな後悔ばっかりの、一歩間違えれば人を恨むことになるような悲しいことはもうイヤやねぇ。
一年後の今日、たまたま母に会ったら「ビビちゃん死んでもう一年経つねん。セロリ買うのも一年振りやわ」などとほざきながら、へらへら笑っていた。
落ちこんだりもするけれど、私は元気です。ってのはいい言葉だよ、ほんと。