ビビ

今は亡き実家のうさぎ(女子)のビビが急死して半年経つのだけど、後悔と怒りが大きい死だったので普段は話題にしません。でも母と会うとビビの話ばかりになっている時があり、とくに実家で母に会った時はビビの話になりがち。ビビが生きていた時は、私が母にウサギグッズをやってもさほど喜ばなかったけれど、今はビビが死んだやりきれなさを埋めるかのように母の部屋はウサギグッズであふれているのです。行くたびに増えている。
母はいつも「私は銀ちゃん(実家の犬)やビビちゃんが死んでも受容れられる。寂しいけど大丈夫。それは仕方ないこと。今までも大丈夫やった。」と言っていて、私は「そんなのその時にならないとわかんないと思うけど〜。今まで大丈夫やったことがこれからの大丈夫には繋がらんやろ。受容れられるに越したことはないけど。我を忘れるのは一瞬でくる。」とテキトーに返事をしたいたのです。テキトーに返事をしていたけど、それは本気で思っていて、そして本気で母の言う方に軍配が上がればいいのに・・とも思っていたのです。
実際にはビビが死んだ時の母は、取乱したし怒っていたし悲しんでいたし記憶が飛んでいるし、まさに錯乱状態でした。そしてそうなってしまった母自身が一番ビックリしていた。ビビが死んで火葬するまでずっとずっと抱きながら「なんで、なんでやの!なんで死んだん!も〜。この子は。なんで最期までそーなん!」と泣きながら怒っている姿はまことに母らしくて、私が「ビビと一緒の姿を撮ってやろう」とカメラを構えると、今まで泣いて怒り散らしていたくせにちゃーんとカメラ目線をするのも母らしかったし。私だって悲しかったけどその姿を観た時は『この人、こんな状態やのにカメラ目線してる・・』と笑ってしまったです。
その後もご飯を食べながらポロポロ泣出した時もあったし、今も「いつまでも悲しんでたらアカンよな」と口では言っているけれど、心がついていってない。私もそうであるけど。人の事は励ませても自分のことになると難しい時があるけど、それはこういう時だ。
ビビは大きくなって実家に来たので、人に抱かれることを知らないうさぎだったのです。抱かれることをとても嫌っていた。一瞬なら抱かせてくれるけど、長時間は抱かせてくれなかった。よく「ビビを思う存分抱けるのはビビが死んだ時やね」と言いあってはいたけれど、予想外に早くあっけなく抱けてしまったことは、不本意で不意打ちで申しわけなく、そういう言葉にできない気持ちがごっちゃになり、それは怒りでしか表現できなかったのだなぁ・・・母は。私も切ない気持ちはあったけど母が錯乱したおかげで気持ちが落着いたというのはあった。
母の部屋にあるビビのケージは今もそのままで、ケージの中にはビビと同じくらいの大きさのウサギの置き物がある。そのウサギは服を着て帽子をかぶって荷車のようなものを押している置き物。荷車の中には鉢植えのシクラメンが入っているです。
母は新緑の多いこの時期には「ビビを外に連れていってやりたかった」と言い、冬には「ビビは陽のあたる場所で日向ぼっこをするのが好きだった」と言う。夏にはまた何か言うだろうな。そうやって色んな風景にビビを見つけ、そのたびに懐かしくなったり悲しくなったりして生活してゆくと思う。私も。そうやって生活して時がすぎて怒りが入道雲から薄雲くらいに薄らいでゆけばいいのにと感じたりするです。