頚椎をいためてから、いろんな方に親切にしていただいたり、心配しいただいたり・・・申し訳ない気持ちはやまやまですが、それ以上にありがたいことです。出不精になり家に籠る生活をしているので(まえから家に籠ってたけど、現状はさらに5倍くらい)手紙やメールでしかお礼や世間話ができないにもかかわらず・・ありがたや、ありがたや〜。
そして、とんでもなく(自慢できそうなほど)ゆっくりした生活をしていて、自分でビビる。現状に甘えているのもあるんだろうな。「しんどいから無理せんとこ」という言葉が口癖になっているのだけど、この口癖は見事に私の心身の状態を表している。
その「無理せんとこ」の中でもっとも特筆すべき事は、読書量が激減しました。本を読むことは「無理している」ことではなく、私にとっては必要な存在なのだけど、とにかく激減。ここまで読まないことは(幼少期を別として)なかった。
ですが本をあまり読まない時期には、比較的、民族学や図鑑などを読むのが習慣化してきているのです。たぶん好きな分野なのだろう。『民族学なら読める』という状況なのだから。この頃がまさにそう。
今は故・宮本常一さんの著書を再読。何度読んでも面白い。面白い以上に満たされた気分になる。宮本さんは数年ごとに「今なぜ宮本常一なのか?」と話題にあがります。年末にもなにかのフリーペーパーで取り上げられていた。結局のところ「なぜ今」ではなく、いつも注目されている民族学者の一人なのだと思う。私も事あるごとに再読しているわけだし・・・なにが魅力的なのか?といわれたら、民族学者にとどまっていないところ・・。宮本常一にかぎらず素晴らしい民族学者(民族学者に限らないだろうけど)は、その分野にとどまりきらない人なんですけどね。
フィールドの人であった宮本さんですが、私は宮本さんが絵巻物について読解く文章がとくに好きです。絵巻物ひとつ取り上げるには様々な事柄を知っていなくては太刀打ちできないのだけど(とうぜんフィールドから得た知識や感覚も大きな鍵になる)「うわ〜よく調べてらっしゃる!」と、みるからに努力が滲み出ている文章ではなく、とにかく楽しい。絵巻物の中にいる人、動植物、モノが今にも動き出しそうなのです。絵巻物はもともとそういう性質(今にも動き出しそう!)を持ち合わせているものだとは思うけど、宮本さんの文章を通すとなお一層キラキラする。・・・なので(だから?)読んでいると満たされた気分になるのかもしれぬな。なんだか励みになったりもするですよ。