いっつもくれる

yakuto2006-10-16

今年の夏は野菜が高かったですよね。我が家では野菜を近所の農家から直接買うか、コープで買っているのですが・・・今年の夏は(いやほんとは年中なんだけど)近所のおっちゃんにいっぱいもらいました。
そのおっちゃんは、もともとは私の祖父母と付き合いのあった人なのじゃ。会社を定年退職した後、野菜作りに目覚め(おっちゃんに野菜の作り方を教えたのは、私の祖父母)日夜、野菜作りに心も身体もどっぷりつかっておる人なのです。
おっちゃん一人では食べきれない種類、量を作っており、自治会やなにかの施設に寄付したりしているらしい(詳しくは知らん)そして、我が家にもくれるのだ。ありえん量を・・・。この前くれた丹波産黒豆(丹波篠山にまで畑を持ち、黒豆をこさえているらしい)は壮観でありました。枝ごとくれたのだけど・・味の濃い枝豆を食すことができた。「枝豆のこと畦豆って言う人いますよね〜。」という話で盛り上がる。
この前、冬瓜を丸々ひとつくれた時には「ど、どーしたらええんじゃ」と真剣に困惑しました(手を変え品を変え食べたけど。うまかった。うますぎた。)とにかく「お、おっちゃん、こんなんまで作ってたんか・・・しかもこんな大量にくれるんか・・」といつも思う。で、食べると、野菜の種類によっては「懐かしい味じゃの〜」なのです。なんせ祖父母のつくった野菜と同じ味だからな。同居人は「うますぎるです。こんなオイシイ野菜があるのですか!」とかなんとかほざいているが、私にとっては懐かしいとしか言いようがない。
なにが懐かしいって、朝露にしっとりと濡れているトマトや茄子をくれたり、切り口から水分がぷっくりと出ている胡瓜をくれたり、「こんなん種取るの大変やん」と思うようなピーマンをくれた時に「ああ、懐かしい」と感じる。冬場だと虫食いのある葉物の中からナメクジなんかが出てくると「こりゃ、家の野菜やね」と思う。そもそも「店で買わなくても、当たり前のように家に野菜がある。食べても食べてもなくならない。毎日毎日同じ種類の野菜を食べる」という状況そのものが懐かしい。
懐かしい風景や懐かしい味に遭遇するたびに「時間を作って、おっちゃんと一緒に農作業をしておきたい」と強く思ったりする。けど、おっちゃんレベルの野菜はさぁ・・・相当熱心な上に、何年にもわたって失敗してもメゲナイ(そこから学び取れる)バイタリティーがないと作れないんだよね。ちょっと片手間に・・・という感じでは絶対にできないのだよなぁ。私が庭でちょこまかやっているのとはレベルも情熱もぜんぜんちゃうもんな。
ま、祖父母の友達と(野菜を通して)こうして交流できるってのは幸運なことだよなぁ〜。と、たまに思う。これからも野菜、くれ。
プロフィール欄の写真を変更してみました。玄武。蛇と亀がからみあっておらずに別々に描かれ、なおかつ顔を突き合わせている図です。私の知識が間違っていなければ、むか〜しむかし(初期タイプに近い)の玄武の形であります。