後々までたのしい〜その壱〜

先日の13日はほんとうに豊かな気分になる一日でした。
「あ〜!私はこういうことが好きなんだ」とあらためて思う。
ところで、みなさん。『芽かき』という言葉ご存知ですか?私はこの言葉を聞いた(読んだ)時『菜っ葉栽培で言う間引きであろう』と思いましたよ。
その(なんとなくしか想像がつかない)芽かき体験をしてきました。お相手はカベルネ・ソーヴィニョンという、たしか御歳25になられるブドウの木。カベルネ・ソーヴィニョン・・ワイン好きの方からピンとくる名前のようです。私はピンとこなかったけど。ワインは門外漢でございます。
行き先は神戸ワイナリー。主催者はヴィーテ・イタリアの高岡さん。
ホームページはこちら→http://viteitalia.com/
芽かきのレポートはこちら→http://viteitalia.com/allaVignaMaggio2006.htm
神戸ワイナリーホームページはこちら→http://www.kobewine.co.jp/
そしてレクチャーして下さるのは神戸ワイナリーの方。ちなみに高岡さんはイタリアワインのソムリエで、パスタの事は「スパゲッティ」ピザの事は「ピッツァ」と言う人です(ひどい紹介のしかたですけれど)私の(心の)料理の師匠であらせられます・・ええと、我が家ではパスタの事は「ゲッティ」ピザのことは「ピザ」と言います。
はじめにブドウの木の一年についてレクチャーをうけました。ブドウの木も休眠(=冬眠)することをはじめて知る。お話を聞いているだけで発見、疑問がわんさかと出てくる有意義な講義でありました。私のツボにはまったのは「木が暴れる」という表現。平たく説明すると、すげぇ太い芽が出て実をつけずニョキニョキと枝ばかり育つことだそうです。一目で「暴れとるわ」とわかるのである。ワイナリーの方には迷惑千万であろうが暴れる様をこの目で見たい。
芽かきの実践では(簡単に書けば栽培過程で「いらねぇ」と思う新芽を落とす)とりあえずのセオリーがあるのです。二者択一で太い枝から遠い方の芽を落とすなど。無理。セオリー通りに芽が生えてくれるわけねぇ。しょせん生き物相手のセオリーなんてものは「まあ、ムリムリ説明してみれば・・」というようなも・・・実際には4つも5つも芽が出ていたり、遠いか近いかわからん(同じような位置に生えている)芽もある。それが普通に生い茂っている。
で、こわごわ「これかいな」と思うものを落とすわけですが、この段階で失敗したら実をつけなくなるんだって!それが3年も続く場合があるらしい・・・・恐怖。こんな重要なことさせてもらってエエんですか??     とか思いつつポロポロバンバン落としましたよ。で、ワイナリーの方に「上手にできてますよ」とか言われていい気になりました(有頂天)同行した同居人には「褒めて伸ばしてくれる人なんですよ」と横やりを入れられる。
そんな中「どっちを落とすのかわからん。しかも同居人と意見が別れた芽」を残しておきワイナリーの方に質問をぶつけてみました。意見が別れる時、同居人はセオリー&感覚で「こっち」私はセオリー無視のくせして理詰めで「こっち」という違いがありました。
しかしながらワイナリーの方は感覚も理屈も持ってらっしゃいました。双方の意見を面白そうに聞いて下さって嬉しかった。色々なアプローチがあってこその育ててゆくということなのであろうね。今回のカベルネ・ソーヴィニョンという木は25才。25年試行錯誤をして大切に育ててきた木なのだ。どれだけ「セオリー通りにはいかんわい」と思ってこられたのだろうと想像すると、一瞬気が遠くなっちまいます。
そういえば赤ワインというのは時間がかかるんですね。赤ワインを作るためのブドウの木(実?)が育つまでに時間がかかるというか・・知識不足でうまく説明できぬのですが、神戸ワイナリーでもまず白。そしてここ何年かで赤を作れるようになったそうです。この話はなんかわかんないけど感動してしまった・・・だって、すげ〜嬉しそうに「やっとここ何年かでウチでも赤が作れるようになったんです」って仰るんだもん。グッときたなぁ。
私はこの言葉を聞いた時「セオリー通りにはいかない」という言葉の重さをズッシリ感じました。私のズッシリなんて軽いものだけど、とにかくジーンとしてしまった。・・・そんな大切な木の芽かきをさせてもらえるなんて、ほんまええんですか?と(散々芽かきしてきたのに)思います。日に日に「芽かきさせてもらって・・よかったんかいね?」という思いは増します。
つづく。