yakuto2008-01-03

1月3日は昨年亡くなった同居人のお父さん(私にとっては義父さんということになります。以下パパちゃん。)の誕生日であり、うちのカメ故・天山の命日でもある。
パパちゃんはビックリするほど優しいあたたかい人で、こういう人っているんだなぁ…なんて思ってしまうような方で、いつも私にもあたたかく接してくれました。私がずっと気にしている体の弱さについても、パパちゃんはそのことを(同居人を通して)知っている上で励ますでもなく、慰めるでもなく、かといって無視するでもなく、まぁ、私もパパちゃんもあえて一度も話題には出さなかっただけなのですけれど、あえて話題に出さないことを共有してくれていること(でも私が気にしていることは重々わかっていること)がとても嬉しかったのです。
昨日、私の母とちょっとしんどい話をしている時、パパちゃんが亡くなって悲しい。というようなことを何気なく言ってしまい、言ったとたんパパちゃんと共有した嬉しかったことや、もうこの世にはいないこと、亡くなるまでの2年間の介護生活のことなどがいっぺんにグチャグチャになってウッと言葉に詰まってしまいビックリ。今まではこんなことなかったのに。帰宅してからよくよく会話(私の発言)を思い出してみると、私はパパちゃんの話をする時に「悲しい」という言葉を使うのがはじめてだったことに気付きました。たぶん亡くなる以前から一度も使ったことはない。もうずっとずっと悲しかったけれど言葉にはできなかったし、したくなかったんだと思いいたったのです。きっと今も使いこなせない言葉でそれを不用意に使ったものだからウッと押し黙ってしまうしかなかったのかもしれません。今でもこんなにも私の中に生きているパパちゃんがこの世にはいないというのは本当に不思議。
それはカメの天山にも言えることで、天山が亡くなった時の体重は240グラムほどでした。今のプンタと同じくらい。天山と姉妹の風雨は今現在600グラムを越す大きさになっているのだけど、いつまでたっても「風雨は小さい子。天山は大きい子」がぬぐえません。何度(カメの観察記録を見ても)天山がたった240グラムの大きさでこの世を去ってしまったことに呆然とするのです。大きいと思っていたのに、たった240グラムしかなかった天山。私の中では風雨より大きい天山なので650グラムくらいになっているはずなのに。考えなくても650グラムなんてなってるはずはないけど、240グラムというのが受入れがたい小ささなのだと思います。じゃ、400グラムだったら受入れられるのか?と考えれば、そういう問題ではないと気付く。何かに対して思う生死というのは生きているかぎり、私の体のなかを行ったり来たりしているものなのかもしれない。