ため息がでる人。息をのむ人。

yakuto2006-07-07

この前、同居人と京都に行く。まぁ、だいぶ前に散々褒めちぎった藤田嗣治の回顧展に馳せ参じたのであります。ヒマなら読んで
ため息がでました。まだまだ人が少なく、観たいモノはいつまでも好きなだけ観ることの出来る状態なのでヨカッタです。観たいモノをいつまでも好きなだけ、何度でも観ることができるかできないか。ってのは重要ですよね。うむ。それが出来ない状態は苦痛です。
長生きした方だけあって、点数も多く、作風にも変化があり、なにより「ああ、何を描いても作ってもフジタだ」という空気に溢れていて幸せでした。時間があればもう一回(いや何回でも)行きたい。
個人的には初期作品と晩年の作品、動物が出てくる作品、手づくり(帽子やら額やら、生活そのものを感じるもの)が好きです。そして、くり返している作品も大好きです。
好きな構図やパターンを何度もくり返して描いている絵があるんですね。たとえばまったく同じポーズの猫が何度も登場したり、同じ壁紙やシーツ、皿、たぶん身の周りにあるもので気に入っているもの(もしくは意図的にアピールしたいもの)は何度でも惜しみなく出してくる。
あぁ、そういうのいいなぁ。って思います。
「また出てきた〜」と、見比べるのも楽しいし、生活が見えるのもいいし、なによりそういうモノを通してフジタという人が見えるのが楽しい(私にとって、あるモノを通して、その人が見えるか見えないかというのは重要)
面相筆を使った線描がスゴイとか、書きだしたらキリがないのですが・・・可愛いものに敏感な人だったんじゃないかな〜?と思い至ったしだいです。そういう点も西洋人に受けたのかもと思うのですが、誰も指摘していないようなので、ちゃうかもね。でも、私はそう思ってんだからいいや。

藤田嗣治を堪能した後は(カフェ・ル・フジタを経由し←慎女将さ〜ん、ケーキ美味しかったです!!)泉屋博古館へ。
一番の目的は同居人が熱くおっかけておる若冲を観るため。さらにヒマなら読んで
今回は一点展示されていたのですが、いやいや〜息をのみました(私にとってフジタはため息がでる人で、若冲は息をのむ人であるよ)
今回観たものは動植綵絵の初期作品と同時期に描かれたそうで、動植綵絵を描くきっかけというか、これを描いた後に動植綵絵に着手したのでは?と言われているそうだ。うむ、そうであろう。そうであろう。遜色ない出来。これを描いて「わて、いけるかも」と思ったのかもしれんですよ。
6月に観た若冲は「物足りん」と思いましたが、今回観た絵よりその「物足りん」方が有名だったりするのが不思議。これまで読めばヒマ人決定
これには裏がありまして、ひとえに6月に観た「物足りん」絵が動植綵絵の中の一点と対なのではないか?という見方をされているからであります。・・・正直な話・・・実際に観たら「どう転んでも対ではないよ。たんに題材が一緒で同時期に描かれているだけのはなし。」と感じますけどねぇ。
今回観たモノの方がよっぽど「どうして動植綵絵に入れなかったのじゃろ?」と思いましたね。絵の具もものすげ〜いいの使ってるし、構図も筆運びも・・一言で書けば醸し出す雰囲気が桁違いの良さであるのですよ。
ほかに出品されていたモノもよかったですね。やはり呉春は植物を描かせたらうまし。常設も大満足。おいそれと書ききれぬ満足感を得た。これからもしょっちゅう行きたいな。
なにより人が少なくてガラガラだったのは最高。博古館的には「もちっと人来てくんないかな?」だったと思いますけど。
近場で言えば、細見さんところ*1なども若冲のいいのを持ってますけれど(今日からいいのがゾロッと展示されるのさ!わ〜い)どうしてどうして博古館もすんごかったです。(上の写真は泉屋博古館の庭)
あ、遅くなりましたが、はてなさん。プライスコレクション展のチケット届きました。東京にも京都にも行きますです。ありがとうございました。

*1:細見美術館。先日、細見さんがお亡くなりになりましたが、細見さんの事は書かねばならぬな。あのお方の凄さをベラベラと人に話したい。