トランス〜その弐〜

一曲目はハープ、三曲目は箜篌(くご←一発で変換された!)の演奏。ハープと箜篌の生演奏はじめて聴きました。箜篌(くご)という楽器は正倉院に伝わっているそうです。伝わっているけれど当時の演奏法がわからないそうですよ(間違ってるかも)あれですよ、五弦の琵琶なんかもそうでしたね。五弦の琵琶は演奏目的ではなく装飾や儀式の飾り?に使われたのでは??とかなんとかいう話。・・・私は楽器としてちゃんと機能していたと思いますけれどねぇ
ええ、話は戻り・・・両曲がはじまる前に「・・・・・という夢をみた」(・・・部分に夢の内容)という朗読があります。夢二夜であった。朗読の内容はどちらも面白く、個人的趣味では三曲目の夢がしっくりきましたが、一曲目の「演奏の間違いは神様の光(だったかな??)」というような所はたいへん面白かったな。(この文章を読んでいても全然わかんないと思うけど、ま、読み飛ばしてください)この朗読は当初、巻上さんがする予定だったのですが、南河内万歳一座に所属する鈴木こうさんという方に変更になりました。この鈴木さんの声が良くってですね。朗読内容にぴったり合っていたと思う。
朗読内容にぴったりといえば、箜篌を演奏される方がアオザイに似た衣装(スタンダードなアオザイの形ではなかったです)をお召しになっていたのが印象的。袖の部分や胸元、裾の切れ込みが斬新なアオザイでありました。アオザイの(そこはかとない)艶めかしさと、箜篌のパキッとした音が合っていたように感じる。
とにかく聴いていて感じたことは「演奏者はさぞ気持ちいいのだろ〜な〜」という事。
こう思ったのは理由があり、私の木版画友達で南米、特にボリビア音楽をこよなく愛する人(演奏もしてらっしゃる。本職は染織家)が『僕が一番好きなのはね。すっごくつまんなくて長い音楽なのよ。聴くぶんにはすっごくつまんないってことやねんけどね。これがね〜演奏するとなるとホンマに凄いよ。僕の言い方が悪いけど、凄いとしか言えへんねん』と熱く語られた事があるからなのです。「つまんない=曲調に派手な変化がない」というふうに理解してください。本で得る知識も大事だけど、こういう生の声ってのはね。迫ってくるものがあるじゃないですか。この話は非常に盛り上がりました(書くと本当に長くなってしまうので却下。でも三輪さんの曲に通じると思う)
・・・・以上の事を思いだし「演奏者は(も)さぞ気持ちいいんだろうな」と・・・。実際気持ちよさそうにつま弾いていらした。
長々と書いていますが、三輪さんご本人はすこぶる魅力的な方であったのでした(少なくとも私には魅力的にうつった)二曲目が終った時に三輪さんが拍手をしながら壇上に上がってきたんですけれどね・・・・それがなんかヨカッタ。『三輪さんめっちゃ感動してんねんなぁ。エエ演奏やったもん。作曲家冥利につきるよね。作曲家と演奏家の見事な融合。いっそのこと踊り出したらええのに』と思ってしまった(たぶん三輪さんは踊り出すような人ではない)
会場を出る時に前にいた方が「よくわかんなかったけど、なんか面白かったわねぇ。現代曲って面白いわ〜」と仰っていて同感。普通に想像する音楽とは違って「よくわからん」のですが、「なんか面白かった」のです。
昼間の演奏会に行ったのですが、会場が薄暗かったので(それはあたかも洞窟のよう)外に出た時「ひゃ〜明るいのう。夢から醒めたぁ」という気分になった。そして暑かった。ヘンな空間に行ってしまった気分になりました。

私が気になってしかたないのは・・対談での一コマ。三輪さんと中沢さんが銀座の甘味処で打ち合わせ?をしていたという話。中沢さんがホワイトボード持参で色々書込み(消し)ながら三輪さんに話をしたんだそうです。はじめは対面形式で打ち合わせをしていたらしい。それが仕舞いには側面?形式になったとか・・・中沢さんがボソッと「混んできたからね」・・・・何事もなかったように話は進みましたけれど、私はガツンとやられた気分。『ええっ!?打ち合わせが盛り上がってきたんじゃなくって、混んできたから側面!?』ですよ。相席になったということなんでしょうか?もしそうなら、相席になっちゃった人・・ご愁傷様ですというか、大当たり〜!というか・・・おっちゃん2人がホワイトボード持って話し込んでいる姿を見ながらアンミツ食べたくないよねぇ、ははは。私は別に相席になってもかまわないけど、たぶん一生「ヘンなおっちゃん2人と相席になった。やんごとない雰囲気で目も合わせられなかった。アンミツの味は忘れた」と方々に言いふらすと思います。
おわり。